SNSの沼
テラスハウスに出演していた木村花さんがSNSによる誹謗中傷がきっかけで自殺をしたというニュースが記憶に新しい。
このようなことは以前から問題としてあったのに事態は良くなるばかりか悪化をしているようにも思える。
私もTwitterをやっている。主に職業に関連する人たちとやりとりをしている。
自由に思い思いなことをつぶやけると思っていたが、いろんなフォロワーの方々とのやりとりが日常的になるとそうもいかなくなるということを感じている。
一度、Twitterをやめたことがあった。その時は仕事の愚痴ばかりを呟いていて、フォロワーには自分の家族や友達も含め、リアルで繋がっている人もいて、鬱になるんじゃないか?って心配されたほどだ。
それでも私の愚痴投稿は止まらなかった。続けているうちにとあるフォロワーからリプが届く。
「お前、いい加減にしろよ。みんな一生懸命働いているんだよ。お前ばっかが不幸だと思うな!!黙って働けよ!!」
そう言ってその方は私をブロックした。
クソリプなんて言葉があっても、この方が私に言ったことは間違っていないと思っている。
私は自分はTwitterは向かないと感じ、アカウントを消した。
もう一度、Twitterを始めた時は私はなるべくリアルな人とは繋がらないようにすることと、愚痴を吐く場としてツイートをするのはなるべく避けようと考えていた。
しかし、喉元を過ぎれば暑さを忘れてしまったのか、フォロワーとの絡みが再び日常的になっているうちに私はツイートの内容が日常の一身上のことまでを発信していることに違和感を感じた。
以前より長く続けているとそれなりにフォロワーを把握できてきて、むしろ意識をするようになった。まるで職場の人と話しているかのように日常的にやりとりをしている。
それもどこか違和感を感じる。直接は会ったことのない方々とどこまで話して良いのか(オフ会で会った人もいるが。)、仮に自分のリアルなところの全てが相手に伝わってしまって良いのか。
境界が曖昧になっている。フォロワー200人いても実際にやりとりある人は数十人だろう。
また、最近の自分のいるクラスタは少し空気が悪いと感じることがある。
過去に自分の経験があるからわかることなのだが、やはり一身上の悩みとか職場の愚痴とか、見ている方は気分良くないのだと今度は自分が身を持って感じた。
直接のやりとりはしたくないから間接的に意見を言う。それは自分もやってしまったから批判はできない。
不快なツイートをする人はブロックをするべきなのだろう。
でもどこかで上記のような形で目に入ってくる。
なんだか自分も何かの共犯みたいな感じがした。
日常的にそのようなものを見ているとなんだかよくわからなくなってきた。
気分も悪くなってそれをツイートする。
もしかしたら自分もどこかで批判されているんじゃないかって感じるが根拠はない。
誰か対象ができるとみんなで自分は正しいんだと確認し合って間接的に攻撃する。
いつのまにかそれに巻き込まれている自分がいたりする。
不快なツイートで一方的に絡む人も原因だとは思う。しかし本人はそれに気づいていない。
なんだかどうしたら良いのかわからなくなってきて。多分、偉人の理屈とかで解決できることではないように思えて。
SNSというものから離れることにした。
ああ、そうか。覗かなければいいんだって。続けなければいけない理由はない。
そうしてみたら気分が良いってわかった。
SNSは日常的だけれど、それがなければ生きていけないかと言ったらまた違うのかもしれない。
芸能人の事情はよくわからないが。
もしかしたら木村花さんもSNSから離れることができたなら、自殺もしなくて済んだのかもしれないと。
そんなことを勝手ながら思ってしまった。
ご冥福をお祈り申し上げます。