NOUTEN QUEST✨

過ぎ去りし時を乗り越えて…

10年働けばプロ

就職したての頃、先輩から「プロの仕事はそんなんじゃだめだ!」と口が酸っぱくなるくらいにいわれたことがあります。

 

 

(はぁ?学校卒業したてのペーペーな奴に何をいってんだこいつ。ちゃんと教えろよバーカ。)

 

 

 

 そんな気持ちで聞き流していました。そしてそこは辞めました。

 

 

 

 

…先日、手伝いで眼科に入り、診療が終わった後に先生と少し世間話をしました。

 

 

「臨床検査技師ってどう?君は勉強も積極的にしてるし、いろいろやってくれるよね。ちょっと気になっててさぁ。」

 

 

なんとなく子供の進路などで考えてる人もいるようで、話を聞いてみたいとのことでした。

 

 

私なりの意見ですが、臨床検査技師として働くにしても国家資格+αはあったほうが良いと学生の頃に言われたことや、時代の変化もあって、検査室での仕事だけでなく、眼科の業務のようにいろんな部署で他職種と連携することが望ましいとされていること。もちろん細胞検査士・超音波検査士などをとって専門性を高めてる人もいる事。病院だけでなく治験や食品衛生、バイオ等の業種への選択肢もあることなどをお話しさせていただきました。

 

 

ただ、みんながみんなそうというわけではなく、中にはルーチン業務だけをこなしていきたいという考えの人もいたりするので、進路選択は臨床検査技師というよりかはその人の希望や選択にもよるということも付け加えました。

 

 

「まぁ、それは医者だって同じだよ。俺は大学病院の医局で白内障だけを学んでさっさと開業しようと思っていたんだけれどね。大学病院ってとこは症例がめちゃくちゃ集まるからさ。いろんな事を学べてね。正直、偉い教授なんかは白内障のオペだけして、網膜の事は診ないしさ。オペ後に緑内障発作とか起こしたらどうするんだって思ったね。」

 

 

こんな会話の中で、私自身は眼科を手伝いとして入ってみてやはり視野が広がったと思うし、知らない分野を知ることは楽しいと話をしました。

 

 

「いいね。そういう人がいるとても助かるよ。こんなこときくのもあれなんだけど、仕事を辞めたいとかそういことは考えたりしないのかな?あれ、今は働いて何年目??」

 

 

私は今年で働いて10年目になることと、同じ仕事で転職を繰り返して一度は辞めたけれど、その方がかえって大変だったと思い、やっぱり資格を生かして働きたいと思って今に至ることを話しました。

 

 

「つまりは臨床検査技師として働いて10年目なんだね。それじゃもう君はプロだから、これからもそれに関係する仕事でで生計を立てていくように考えていくのが良いね。俺は若い時に株とかやろうと思ったことあるけれどさ。一番、確実に収入得られるのってこの仕事しかないからさ。それで開業することに決めたんだよ。まぁ、立場上は責任者とかやってるけどさぁ。眼鏡作るのは眼鏡屋さんには負けるし、検査だって視能訓練士さんとか君みたいに臨床検査技師がやってくれる方が本当に助かるもの。これからもよろしくね。」

 

 

坦々と先生は話してくれました。そうして世間話は終わりました。

 

 

 

人生で二度目に私は〝プロ〝という言葉を聞きました。

 

 

 

 

しかし、以前聞いた時のような嫌な気持ちはありませんでした。

 

 

 

 

(そうか、、プロなんだなって。)

 

 

 

10年って月日は大きいです。前は(ち!…んだよっ)と心の中で何度も思っていたのに妙に納得してしまいました。

 

 

 

きっとそれは知識だけでない経験値というものを積んだからと言うのかもしれません。

 

 

 

認定試験は落ちてるし、正直、まだまだ勉強はしなければいけないのは承知しています。

 

 

 

口に出して「自分、プロです」なんてとても言えません。

 

 

 

それでも続けてみたことというのは、こんなにも大きく感じるとは思ってもいませんでした。

 

 

 

一人一人が〝プロ〝と思えて、自信を持って働いていけたなら。細かい所は気にしなくても良いと思えます。

 

 

先生も医者として〝プロ〝になったんだなと私は感じました。

 

 

先生に臨床検査技師の良さは伝わったのかは定かではありませんが。

 

 

少なくとも会話で「この仕事…悪くないじゃん」って。私自身は思ってしまいました。

 

ラストダンジョン

COVID-19による自粛を余儀なくされてしまい皆様はどのようにお過ごしでしょうか?

 

 

このブログも総記事数が90まで達しまして、目標の100記事までもう少しでたどり着きそうです。

 

 

勇者ノーテンの冒険もラストダンジョンに差し掛かったところと理解いただければ幸いです。

 

 

どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

さてさて、ダンジョンというからにはその先にボスがいるのかと疑問に思う方はいるのではないかと思います。

 

 

 

そう。ここまでぼうけんをしてみてついに魔王の存在を知ってしまったのです。

 

 

 

その名も…

 

 

 

 

 

 

大魔王ネガティーバ!!

 

 

 

 

 

 

(…と命名しました。)

 

 

 

 

 

 

実態は見えないが、古より人の心に潜んでじわじわと過去の時間に縛りつけて支配をしている魔王だそうです。

 

 

 

 

果たして勇者ノーテンは打ち破ることをできるのか…。感動のエンディングが…?

 

 

 

これからのぼうけんをお楽しみ下さい。

 

 

 

 

 少しづつ更新をしていきます。

 

置かれた場所で咲きなさい

自分はなんでこうなんだろう。

 

 

そう思い続けて30年は過ぎました。

 

 

いつかは変われると思っていましたが、変わるどころか悩みはさらに増えていったように思います。

 

 

より他人と比べて自分はなんてダメなやつなんだって思うようになりました。

 

 

 

「人の大きさはその人の心を乱す大きさでしかない」

 

 

そんな私には、シスターが子供の頃に母から言われたというこの言葉がとても印象に残りました。

 

 

言い回しは難しいですが、自分の境遇を今の環境や良くしてくれない人のせいにして生きるということは、その人自身が変わらなければどこにいっても変わることはないと示しているのだと思います。

 

 

タイトルの置かれた場所で咲きなさいというのも、聖書の言葉だそうで、あなたが神様に与えられた場所で、信じる人に支えられて力強く根張って成長をしていって欲しいという願いの言葉であるそうです。

 

 

いつのまにか自分の事ばかりを考えていないだろうか?

 

 

仕事も社会的地位も持っている能力もお金も何もかも比べてしまっていてはその器からは大きなれません。

 

 

今の自分自身がいろんな人に支えられていることに感謝せねばなりません。

 

 

今ある場所で何ができるのか。

 

 

そして人のために身を投げるくらいに努力をできるのか。

 

 

うっすら気づいているようで言葉にすると難しくなってしまいます。

 

 

もちろん、自分が変わっても周りが変わらない苦労だってあるのだと思います。

 

 

そうだったとしても、いろんな風や虫に運ばれて、行き着いた場所で芽が出ているのかもしれません。

 

 

そこからどんな花を咲かせることができるのでしょうか?

 

 

今を比べて焦って生きる必要なんてありません。今ある場所で、できることをやっていくことが何よりも大切なんだと 改めて思うとができました。

 

 

聖書の教えも深いものです。

 

 

https://a.r10.to/hbJL0F

比べない事

学生の時、周りに「できる」友達がいて、自分も「できる」人にならなければならないと思っていました。 

 

一緒によーいどんをしたはずなのに。いつのまにか離されていて。むしろ、スタートした時点でずいぶん先に行っていた友達もいました。

 

 

なぜか、自分もそこにいかなければならないんだと焦っていました。

 

 

卒業する頃には、みんな見えなくなっていました。

 

 

この感覚はそれからもずっとあります。

 

 

それが、大人になってからより強く感じています。

 

 

とりわけ、職種の違いやお金がかかわるとどうしても皮肉の一つや二つは言いたくなってしまうようです。

 

 

なにもかもが「できる」わけではありません。

 

 

中には「できる」事を当たり前のように言われることもあるでしょう。

 

 

だからって「できない」ことが悪い事のように思ってしまいますが、それはそのように決めてしまっているだけなんだと思います。

 

 

「できない」ことに気づいたのならば、そこから努力をしてみればいい。

 

 

何もしないで「できない」ことを嘆くということは、きっと誰かと比べてしまっています。

 

 

どうしても「できない」のならば、それは認めざるをえません。

 

 

ならば「できる」ことを行なってみればいい。

 

 

「できない」ことを嘆いて立ち止まっていたら何も変わらないし、悩んもだんだん大きくなっていくと思います。

 

 

こんなに簡単なことなのに。

 

 

なかなか気がつけないんだなと。 

 

 

つくづく思います。