平成の終わりに思う事
平成もあと一週間になりました。
前から発表されていたのにあまり実感はなかったように思います。
令和が発表されてほんの少しだけ新しい時代の風を感じるようになりましたが、ここに来て「あー、平成って終わるんだなぁ」と感じるようになってきました。
物心ついた頃から平成でした。
大人は昭和、昭和と言っていたけれど、自分には関係ないと思いきや、生年月日には昭和~年と書いています。
よく「もしかして平成生まれ!?」と勘違いされました。その時は「いや、違いますよ〜」と妙な仲間意識を感じてしまったりもしました。
あー今は平成で、これからも平成なんだと。これからも平成と同い年で年をとっていくと。そう思っていました。
そんな平成はまもなく終わろうとしています。
あと一週間で終わります。
昭和が終わる時、親達が若者だった頃は何を思ったのでしょうか。
思うような人生だったのでしょうか。それとも過ぎ去った日々を悔やんでいたのでしょうか。
少なくとも自分は後者であって、これから先の明るい未来を模索していると思います。
それでも30歳という節目も過ぎて、考える事も感じている事も、20代の時とは違ってきています。
親も年を取っているなと感じてきています。
職場の新しい世代の若者達の中に入ってよいか躊躇してしまいます。
かつての若者だった先輩たちの話が妙に共感できるようになってしまいました。
昔、祖母が亡くなった時、それまでファミリーカーに乗って旅行したりして、後部座席で自分の隣に座っていた祖母が、骨壺に入って父親の膝の上にいるのをぼーっと眺めていて、「この車でいろんなとこ行ったよな・・」と親がつぶやいていたのを思い出します。
令和何年かには、自分が親の骨壺を抱えて車に乗っていることもあるのだと思います。
そんなことを考えてみると、新しい時代が来るのにちょっと涙ぐんでしいますね。
若かった日々が平成という時代に詰まっています。
昭和の名残をなかなか忘れられなかった平成。
新しい価値観と古い価値観がせめぎ合った平成。
そして、自分はその平成時代の申し子といわれたゆとり世代の第一号。
自分はこれからの若者たちに何をしてられるだろうかとか、手本になれるだろうかとか考えてしまうところもあります。
結局、ゆとりが平成の時代を駄目にしたなんて、いつかは誇張してくる世代が出てくるのでしょうか。
考えてもわからないことだらけで、むしろ考えても想像の世界でしかないし。変な奴だと思われちゃうかもしれないし。
だから先のことなんて難しく考えない。今、できることに一生懸命になりたいです。
思うように結果がでなくて臆病になった10代も、臆病が卑屈に変わった20代も。
時代と一緒に変わっていったら良いなと思う。
平成という時代に言えることは「お疲れ様!」ということなのかもしれない。
いろいろ大変だったけれど、よく頑張った!平成すげーよ。おかげさんで令和の時代も頑張れそうだよ。
あなたは僕らの青春です。
バブルも知らない自分達だけど、むしろ、同時多発テロとか震災とかリーマンショックとかが色濃く残る世代だけれど。
かけがえのないものは平成の時代にありました。
本当にこれから先のことなんてわかんないから。
この時代を過ごした日々を大切にしながらこれからを生きていきたいと思います。
ありがとう平成。あと一週間ですが、よろしくお願いします。