NOUTEN QUEST✨

過ぎ去りし時を乗り越えて…

こんな夜更けにバナナかよ

本作は筋ジストロフィーにより、日常生活のほとんどに介助が不可欠である鹿野さんとそのボランティアのノンフィクションであると言っても良いと思います。最近、映画にもなりましたね。


その点だけ聞くと、日常とかけ離れた感動もののようにも感じてしまいますが、本のサブタイトルにもなっているように、鹿野さんとそのボランティアの間には単に障害と介助の問題ではなく、なぜボランティアを続けるのかということから始まり、当時、関わってきた若者達の人生にも影響を与えている一面がにじみ出ているように感じました。


その若者達のエピソードも共感してしまう部分もあるのですが、私も鹿野さんという一人の人物に惹かれてしまいました。


障害というものを持ちながら、自らの生活を当たり前のものにするため、世間から「障害者」とひとくくりにされて施設に閉じ込められるような生活よりも、常時ボランティアが待機しているケア付き住宅での生活をはじめ、自分の好きなように外出もするし、夜更けにバナナを食べたいと所望して、ボランティアを困らせたり、なにも日常生活に支障がない私たちにとっては、わがままのように思えますが、鹿野さんに言わせれば当たり前のことなのです(少し度がすぎるところもあるかもしれませんが、、)



「このまま病院で死ぬのは嫌だ。あなただって家に帰りたいでしょう?」



余命があと2年と言われて、病院を退院できないと言われたときに鹿野さんはそう言いました。


その後、退院されて5年以上は生きたということが書かれていました。



もし、周りの人の意見を受け入れて病院で過ごしていたら本当に余命は2年だったのかもしれません。


この鹿野さんが「当たり前」といったことは、なんとなく考えさせられるところでもあると思います。


世間一般の考え方やイメージというものに、死ぬほどいやな思いをして、正面から立ち向かっていった姿勢は私たちの生き方にも少なからずとも大切な何かを教えてくれているのではないでしょうか。


私の仕事で言えば、臨床検査技師という仕事は、医療職の中ではあまり知られていないのが現状です。患者さんから見れば、看護師か医師に見られてしまいますし、同じ病院の職員の中でも臨床検査技師って何をやっているの??なんて思う人は多いかもしれません。



医師や看護師に比べたら患者に接する機会は生理検査等をやっていないとほとんどないかもしれません。また、検査だけでは医療の仕事の一部でしかなく、検体採取をはじめ、在宅医療などに積極的に関われるようになりましょうと、より人に近い業務内容を実践する動きがここ数年の間に出てきています。


それまでのイメージを払底するような考えを実践していくというところは、鹿野さんにとっての障害者のイメージを変えていくこととと少し重なりました。


すべてが順調な訳でもなかったと思いますし、まだまだ問題も山積みなんだと思います。


鹿野さんと同じような活動をしている著名人は今もたくさんいます。鹿野さんは若くして亡くなられてしまったのですが、その活動は後に関件者の間でも気が付いたら「鹿ちゃんすごいよ・・」と賞されるくらいに大きなものを残したのかもしれません。


多職種連携における臨床検査技師についても、障害者福祉についても私は意見を書くつもりはありません。


何よりも、あきらめないで自分なりの求める形を作ろうと奮闘した鹿野さんという人物と、それを支えたボランティアや関係する人たちという物語はとても心打つものがあったと思います。


もう無理だと思ってあきらめたりしていませんか?


同じような毎日に飽き飽きしていませんか?


どんなに小さなことでも、とにかく動いてみる。そうしたら何かした変化が起こるかもあしれない。


ものすごく簡単に言ってしまっているのかもしれませんが、いつまでもくよくよしているのならば、動いてみることの大切さを思いました。


教祖とかカリスマとか、そんな輝いたものになんかなりたいとは思いませんが。


本当に、いいね!って思っていただいて、フォローしてもらうえることが何よりもうれしい事だとと思います。


それがどこかのだれかにとっての、何かが変わるきっかけになってくれたら幸いですね。


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